調査概要
2022年7月30日(土)午前6時30分~午後5時30分
当日参加者:親子18組39名
スタッフ:16名(川と海つながり共創プロジェクト)
調査場所:加太海水浴場(和歌山県和歌山市加太)
※友ヶ島汽船欠航により、友ヶ島から加太海水浴場に変更
日程
6時30分 参加者集合・出発
9時10分 調査場所到着(9時20分~環境学習)
10時30分 調査場所出発
10時40分 深山砲台跡駐車場到着
11時15分 休憩地点到着(休憩~12時00分)
12時30分 深山砲台跡駐車場出発
13時15分 和歌山城到着(自由時間~15時00分)
15時00分 和歌山城出発
17時30分 亀岡市役所到着・解散
瀬戸内海の無人島「友ヶ島」に漂着するごみについて、現地での清掃・調査を予定していましたが、残念ながら当日の朝に、フェリーの欠航が決定したことから、調査場所を加太海水浴場に変更しました。
事前学習として、原田禎夫さん(大阪商業大学准教授・川と海つながり共創プロジェクト事務局長)から、海ごみの多くは内陸の川から流れてきたものであること、プラスチックごみは劣化して小さなマイクロプラスチックとなり、人間の体にも取り込まれることなどの解説をいただきました。
加太海水浴場では、友ヶ島でごみ調査を行う千葉知世さん(大阪公立大学准教授)から和歌山の海岸の漂着物ついて解説いただき、その後、砂浜の漂着ごみの現状を観察しました。
水をはったバケツに砂を入れ、浮かび上がってくるマイクロプラスチックを調査しました。一見きれいに見える砂にもたくさんのプラスチックが含まれていることがわかり、参加者は興味深く観察していました。
その後、深山砲台跡や和歌山城を訪れ、豊かな自然と歴史文化にも親しむことができました。
Photo Gallery:加太海水浴場
Photo Gallery:深山砲台跡
戦争遺跡 深山砲台跡は、友ヶ島地区、淡路島の由良地区の砲台とともに明治時代に築かれた由良要塞の一部で、大阪湾を防衛する役割を担っていた施設です。現在は、歴史と自然を感じることができるハイキングコースになっています。
大砲は使われることなく撤去されていますが、その跡と地下に作られたレンガ造りの弾薬庫を見学することが出来ます。また海や島を見渡せる展望台もあります。
Photo Gallery:和歌山城
和歌山城は、1585年(天正13年)に豊臣秀吉が弟の豊臣秀長に築城させたのが始まりです。その築城を担当したのが、築城三名人の一人、藤堂高虎でした。秀長の城代として桑山重晴が入城、1600年(慶長5年)には、関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入城します。
豊臣秀長から浅野幸長の時代に作られた石垣には、紀州特産の緑泥片岩が多く使われており、一つ一つに様々な刻印が入っています。当時の石工集団が命がけで取り出した石を運搬中に盗まれないよう、はんこ替わりに印を付けたのではないかと言われています。
そして、1619年(元和5年)には徳川家康の第10男・徳川頼宣が入城し、戦国時代で廃れた、文化財の保護と大々的な都市計画を実行し、和歌山城は紀州55万5千石の城となりました。以来、水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつとして、日本100名城にも選ばれています。
1945年(昭和20年)和歌山大空襲で本丸の天守、櫓群が焼け落ちてしまいます。戦後和歌山城復興のため、基金積立が開始され市民の熱意と寄付によって1956年(昭和31年)に鉄筋コンクリート製の天守閣が再建されました。また、2006年(平成18年)に二の丸と西の丸を繋ぐ御橋廊下が再建されました。
天守閣からは、和歌山市内が一望出来ます。
天守閣からの景色
copyright:川と海つながり共創プロジェクト