2023年9月23日(土):こども海ごみ探偵団 :保津川調査

調査概要

2023年9月23日(土)7時10分~18時00分
当日参加者:親子7組16名
スタッフ:18名
集合場所:かめきたサンガ広場
調査地点:保津川(京都府亀岡市)

日程

7時10分  かめきたサンガ広場(JR亀岡駅北口)
7時30分  開会式
8時30分  川の駅亀岡水辺公園到着
9時30分  ラフティング乗船、川の駅亀岡水辺公園出発
11時00分 保津川遊船船着き場到着、ごみ調査
12時00分 閉会式

実施内容

7月末に実施した和歌山県友ヶ島での海ごみ調査に続き、今回は地元・保津川の川ごみをラフティングボートで調査しました。川の駅・亀岡水辺公園より乗船し、時折河川敷に船を着け、ごみ拾いをしながら保津大橋下まで約5kmを1時間半かけて下りました。

下船後は、拾い集めたごみをプラスチックや金属といった種類ごとに分類していきました。海ごみと比べると、汚れが付いたままの食品トレーや飲料の缶、瓶、タイヤやバイクなど私たちの日常により密接なごみが多く見られ、中には1980年代の賞味期限が記載された飲料缶などが確認でき、参加者は驚きを感じながら興味深く観察していました。また、友ヶ島調査に続いて平井研さん(加太・友ヶ島環境戦略研究会)にご参加いただき、海岸の漂着物との違いについて解説いただきました。

清掃・調査を通して保津川の深刻なごみ問題を学習するだけでなく、保津川遊船の船頭さんからもお話を聞き、川の歴史と豊かな保津川の自然を守る大切さを学びました。

今回の保津川調査を通じ、美しい保津川とその景色を守るために、内陸部からの漂着ごみの発生抑制対策の重要性と必要性を、参加者全員が強く感じることができました。

Photo Gallery

(C)川と海つながり共創プロジェクト

2022年10月30日:こども海ごみ探偵団:保津川調査

調査概要

2022年10月30日(日)午前8時30分~午後1時10分
当日参加者:親子18組40名
スタッフ:15名(川と海つながり共創プロジェクト)
集合場所:保津川遊船乗船場(亀岡市保津町)
調査地点:保津峡 獅子ヶ口
解散場所:保津川下り揚船場(京都市右京区嵐山)

日程

7時45分 スタッフ集合・事前ミーティング
8時15分 参加者受付開始
8時30分 開会式
9時00分 保津川下り出発
9時30分 調査地点到着
10時00分 清掃活動
10時20分 ごみ分類調査
11時15分 調査地点出発
12時40分 嵐山到着、閉会式
13時00分 解散

予定では9月30日でしたが、天候不良のため、10月30日に変更して調査が行われました。当日は天候に恵まれ、秋晴れの中、普段降り立つことのできない保津峡内で清掃活動とごみ調査を行いました。

本年度も、清掃・調査を通して保津川の深刻なごみ問題を学習するだけでなく、過去の豪雨や暴風等による自然災害の爪痕を船下りの途中で目にすることと、船頭様のお話を通じて、その脅威を間近に感じることができました。また、船上から保津渓谷の美しい景色や色好き始めた紅葉を楽しむこともできました。

美しい保津川とその景色を守るために、漂着ごみの発生抑制対策の重要性との必要性を、参加者全員に強く意識づけすることができました。

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(C)川と海つながり共創プロジェクト

2022年7月30日こども海ごみ探偵団:友ヶ島調査

調査概要

2022年7月30日(土)午前6時30分~午後5時30分
当日参加者:親子18組39名
スタッフ:16名(川と海つながり共創プロジェクト)
調査場所:加太海水浴場(和歌山県和歌山市加太)
※友ヶ島汽船欠航により、友ヶ島から加太海水浴場に変更

日程

6時30分  参加者集合・出発
9時10分  調査場所到着(9時20分~環境学習)
10時30分  調査場所出発
10時40分  深山砲台跡駐車場到着
11時15分  休憩地点到着(休憩~12時00分)
12時30分  深山砲台跡駐車場出発
13時15分  和歌山城到着(自由時間~15時00分)
15時00分  和歌山城出発
17時30分  亀岡市役所到着・解散

瀬戸内海の無人島「友ヶ島」に漂着するごみについて、現地での清掃・調査を予定していましたが、残念ながら当日の朝に、フェリーの欠航が決定したことから、調査場所を加太海水浴場に変更しました。

加太海水浴場の砂浜

事前学習として、原田禎夫さん(大阪商業大学准教授・川と海つながり共創プロジェクト事務局長)から、海ごみの多くは内陸の川から流れてきたものであること、プラスチックごみは劣化して小さなマイクロプラスチックとなり、人間の体にも取り込まれることなどの解説をいただきました。

大阪公立大学准教授 千葉先生と大阪商業大学准教授 原田先生による説明

加太海水浴場では、友ヶ島でごみ調査を行う千葉知世さん(大阪公立大学准教授)から和歌山の海岸の漂着物ついて解説いただき、その後、砂浜の漂着ごみの現状を観察しました。

マイクロプラスチックの調査

水をはったバケツに砂を入れ、浮かび上がってくるマイクロプラスチックを調査しました。一見きれいに見える砂にもたくさんのプラスチックが含まれていることがわかり、参加者は興味深く観察していました。

その後、深山砲台跡や和歌山城を訪れ、豊かな自然と歴史文化にも親しむことができました。

加太海水浴場を背景に記念撮影

Photo Gallery:加太海水浴場

Photo Gallery:深山砲台跡

戦争遺跡 深山砲台跡は、友ヶ島地区、淡路島の由良地区の砲台とともに明治時代に築かれた由良要塞の一部で、大阪湾を防衛する役割を担っていた施設です。現在は、歴史と自然を感じることができるハイキングコースになっています。

大砲は使われることなく撤去されていますが、その跡と地下に作られたレンガ造りの弾薬庫を見学することが出来ます。また海や島を見渡せる展望台もあります。

Photo Gallery:和歌山城

和歌山城は、1585年(天正13年)に豊臣秀吉が弟の豊臣秀長に築城させたのが始まりです。その築城を担当したのが、築城三名人の一人、藤堂高虎でした。秀長の城代として桑山重晴が入城、1600年(慶長5年)には、関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入城します。

豊臣秀長から浅野幸長の時代に作られた石垣には、紀州特産の緑泥片岩が多く使われており、一つ一つに様々な刻印が入っています。当時の石工集団が命がけで取り出した石を運搬中に盗まれないよう、はんこ替わりに印を付けたのではないかと言われています。

そして、1619年(元和5年)には徳川家康の第10男・徳川頼宣が入城し、戦国時代で廃れた、文化財の保護と大々的な都市計画を実行し、和歌山城は紀州55万5千石の城となりました。以来、水戸・尾張と並び、徳川御三家のひとつとして、日本100名城にも選ばれています。

1945年(昭和20年)和歌山大空襲で本丸の天守、櫓群が焼け落ちてしまいます。戦後和歌山城復興のため、基金積立が開始され市民の熱意と寄付によって1956年(昭和31年)に鉄筋コンクリート製の天守閣が再建されました。また、2006年(平成18年)に二の丸と西の丸を繋ぐ御橋廊下が再建されました。

天守閣からは、和歌山市内が一望出来ます。

天守閣からの景色

copyright:川と海つながり共創プロジェクト